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2022.05.26

宝の山とガラクタの山

 (2020年札幌市医師会会報誌に投稿した院長の中学時代の思い出)

還暦を迎えるのもいいものだ。従業員や家族からプレゼントをもらい、旧友たちと箱根の名湯に集い飲み交わすなど充実した年だ。みんなの支えがあっての今日だと実感し、その分今後のことも考えるようになった。
今の私の生活は、仕事4割、ゴルフ3割、お酒2割、医師会活動1割という自分では理想的な力配分だが、このバランスが崩れる日が近づいてきた気がする。何が最初に出来なくなるのかはわからないが、体が故障しても出来るような趣味を探そう。得意なものを伸ばすか、苦手を克服するかだが、やはり前者の方が考えやすい。

これまでいくつかの物に夢中になったが、ラジオ製作が一番だったと思う。従兄弟が「子供の科学」の古本を家にどっさり置いて行き、小4の時から興味を持った。中1になると三度の飯より好きとなり、製作に疲れ果てて目が痛くなってから冷めたご飯を頂いた。回路図からオリジナルの基板を作るのが大好きで、小さな電子部品を集めて苦心して組み立てた物から新しい音が飛び出す瞬間が至福だった。とはいえ、こんな依存症的な子供を親が放っておくはずもなく、まもなく部品購入用の小遣いが大幅に削減されて悶々とした日々を過ごした。授業中に窓の外をぼんやり眺める私を見た女性の担任が、「失恋でもしたのかしら?」と家庭訪問の時に心配していたというのは実話らしい。部品が買えないので回路図にはとても詳しくなった。作りたかったのは、短波AMFMチューナー内蔵プリメインアンプという大層な代物だった。

ある日、友達に勧められて廃品業者に行くと世界は一変した。何年も風雪に耐えたような泥にまみれた18型ブラウン管テレビを予算ぎりぎりの1,000円で買った。汚れがひどくてバスに乗るのもはばかり、バス停5つ分を根性で持ち帰った。解体すると中は綺麗で、大阪屋で買えば一個150円もするトランジスタが基板に無数に並び輝く宝の山だった。

それからは部活と塾以外、念願の製作三昧が可能となり、調子に乗って深夜にガリガリ音をたてたり、勉強しているふりがばれたり、半田ごてで床を焦がしたりで、母を何度も憤慨させた。そもそも廃品からの部品調達は反則的で、没収も親の権限内だ。そんな時、父は思いがけない提案を母と私に傾けてくれた。…『そこまで好きなら、作りたい物をとことん作ってみればいい。必要な部品代も全て出してあげよう。ただし、期限は中2の春休み終了まで!』…という引退勧告だった。
半年後の中3の新学期は晴れ晴れとした気持ちで迎えることができた。ピカピカの部品に魂を込め、寿命を縮めるかと思うほどに夜を徹して作った物の3分の2あまりが、うんともすんとも音を立てないガラクタと化してしまったけれど、理想と現実とのギャップや自分の限界を知り、思い残すことはなかった。そして、ガラクタの山を見ても何も言わない両親に感謝した。

あの頃のことは今では少々反省している。もっと身の丈に合った物を作るべきだったと思う。たくさんの部品を繋ぎ合わせることに躍起となったが、部品一つ一つの意味を理解することの方が大切なはずだ。エレクトロニクスの原点を忘れていた。だからこれからの趣味として電気工作をするとしたなら、昔失敗した短波FMチューナーにリベンジすることでもなく、背伸びしてLSIを買い込んでの自前のパソコン作りにトライすることでもない。もっと原点に触れることがしたい。

現在その第一候補と考えているのが、『電子ブロック』だ。ご存知ない方が多いだろうが、初代は1965年の発売。立方体のブロックに一つずつ部品が入っていて、説明書を見ながらパズルのように組み立てるだけで色んな回路に生まれ変わるという、お金持ちの小中学生御用達の教材であった。「お風呂センサー」「光線警報器」「噓発見器」などは子供だましと言えないこともないが、学研が提携した後の1976年には150回路まで組めるものが発売されて最盛期を迎えた。テレビゲームに押されて生産中止となるも、何と2002年に上位機種の復刻版と新作の拡張キットが出され、書店にいくつも積まれていて私も驚いた。それから二度も学研の「大人の科学」から大人用オプションが追加されている。今は夢中になると困るので、きっと10年後ぐらいになると思うがこれは買いだ!

パソコン、スマホ、AIの時代に、まさかの電子ブロック。並べるだけなので視力も体力も不要。皆さんも壮年の趣味の一つとしていかがでしょうか?